最新情報はメルマガでお伝えしています 登録はこちらです

わたしとラボ

ラボの5周年に向けて「わたしとラボ」をテーマにコラムを寄せてもらいました

市民ライター
ほんだまゆみ

子育ても自分軸も!

わたしがライフデザインラボの研究員として活動し始めたのは、2019年度からです。同じく2019年に生まれた長女はもう4歳になりました。結婚して5年、なかなか子宝に恵まれず苦しい時期を過ごしました。その間、友人の伝手でいろいろなお仕事を経験しながら、もともと夢として抱き続けていた「ライター活動」を始めます。
ようやく自分のやりたいことを見出しかけたと同時に、人生で初めての妊娠・出産!どちらも諦めたくない。でも、どうしよう…。2018年は仕事のことも家族のことも、何かと重なり、悩みもがき、不安な気持ちでいっぱいに。それでも、周りの人に助けられながら、なんとか日々を過ごしていました。年が明けて、予定日を過ぎてもなかなか陣痛を感じられず入院することになり、ベットの上でまだかまだかと産声を聞く瞬間を待ちます。そのとき、ラボの所長から1通のメールがーー
その後、無事に出産。初めての子育てでてんやわんやしながら、あっという間に一ヶ月が過ぎ、桜の咲くころ、お宮参りも済ませることができました。それからというもの、生まれたての小っちゃい長女を抱いて、日本大通りにあるラボへ行って、ミーティングやイベントに参加をしたり、オンラインツールを使って執筆活動や情報発信をしたり。気がつけば、赤ちゃんだった長女は元気もりもりの4歳児、2021年には次女誕生!わたしは、この4年間、子育て経験者とも、そうではないいろいろな立場の人とも出会えるライフデザインラボで、子育てしながら、親としてもライターとしてもたくさんの経験を積んできました。これからは、いっしょに活動していく仲間を増やしたり、誰かの「諦めたくない!」という気持ちを応援したり、わたし自身がラボから学んできたものを周りに返していけるように…。子どもたちともども、まだまだ成長していきます!

中川ちあき

創業149年のお花屋さんで開催した宮崎生花店でのクリスマスマルシェ

ライフデザインラボには憧れの仲間がたくさんいて、横浜には憧れの場所がたくさんあります。その憧れは、一つひとつ手で丁寧にほどこされている技術や日々の心遣いがあってつくりあげられたお仕事でした。元町から一歩入って坂を上る途中にたたずむお花屋さんの宮崎生花店さんは、かわいらしい雰囲気のお店。観光客からも注目されつつ、近所の方々も近隣の学生さんも、お気に入りの場です。でもかわいいと見えるその奥には創業149年もの間つづく、お花を愛で、お花をもちいいる社会への貢献の努力があって、今にいたります。日本が開港し、鉄道が通り、外国人が山手居留地へ暮らすようになった開港当時の社会の大きな変化へお花をささげ、関東大震災の翌年には店舗を再生し、そして戦時中という時代があり、高度成長期、平成、令和へと時代の中をお花を社会へお届けされました。花は種をまき、水をやり、毎日のお手入れのすえ、やっとお花が咲き、その美しさは期間が限られたものです。ぜいたく品かもしれません。けれども花嫁はウェディングブーケを手に、育った家庭から旅立ち、愛する人とと家庭をきづきあげていきます。人生の最後を見送るとき、空へお送りするその瞬間から、見送る人たちの次の人生が始まり、その瞬間もお花をささげます。お花にはパワーがあって、人生の大きな起点を支えてくれます。ライフデザインラボはもう一つの居場所、人生のなかの糧を見出してくれる場所。お花のもつ力と似ているのかもしれません。ライフデザインラボも創業149年を目指して残りたった144年、がんばっていきたいです。

松林景子

あったよこんな、いい社会

私は「特に用事はないけど、誰かいるかなぁと行ってみる神出鬼没スタイル」でラボと共にしてきた。その中でも印象的な行ってみたときの話がある。 第二子を出産後フルタイムで職場復帰し、すぐに心身崩壊して休職になった。そんなある日の朝、夫の何気ない一言にブチギレて家出を決意した。当時は、家族も日本社会もすべて「私の人生の邪魔をしている」と感じていたので、被害妄想的にしか受け取ることができなかった。 ひとりになりたくて、家出に選んだ場所は自宅から2駅先のAPAホテル。大浴場と露天風呂があるからだ。追い詰められている割に、会社の福利厚生でちゃっかり3000円引きで泊まった。 翌日APAをチェックアウトして、ラボに行ってみた。行ったら誰かいるかなぁと。 その場にいた方々(はじめまして)に「今家出中なんです」という話をしたところ、「〇〇さんも家出中らしいよ」「いやいや、もう1泊した方がいい」「APAもいいけど家出するならスーパーホテルもいいよ!」など、逆に家出情報をリコメンドされる現象が起きた。 『なんだ、みんな家出してるのか』と、たまには家出もありなんだと思えた。そして後押しもあり、もう1泊することを決めた。 これ以降、ポジティブな計画的家出をたまにして比較的平和に過ごしている。ラボは、家庭にも職場にも趣味にも行き場を失っていた私の、大切なもう一つの居場所なんだ!

アートディレクター、デザイナー
柴崎久美子

うまくやろうとしなくても、大人がとにかくなんでもやってみれる場なの〜

大人って上手にできるんでしょ?大人ってお話も上手だし、なんでも知ってるし、みんなと仲良くできるし、つよくてやさしい人のことなんだよね?…そう思って実際大人になってみると何もできないし何も知らない。強くもなければ、べこべこに凹む。ポンコツもしょっちゅうやらかす。自分が大人として年月が過ぎてゆくほどどんどん恥ずかしく可笑しくなります。それでもいいよ、やってみる場所があれば一歩前に踏み出せるじゃない?失敗してもうまくなくても。貴重な場として存在し続けたライフデザインラボ。まじめでおもしろいこと好きの大人が集まっていつもわやっわやしている。同じ表情は一つとない。永遠に生まれ続ける。唯一無二のライフデザインラボ。この場を生んで、この場に関わってきたみなさんに、あたたかな敬意とツッコミごころを感じております。おいっ!なにしちゃってんのよ〜。ステキじゃん!

半沢まり子

本当にやりたいことに気づかせてくれたラボ

ラボと私。そう思い返すと「ラボのホームページと私の成長」が思い浮かびます。 ラボのホームページは、最初は私が手を動かして作り、次はチームを作って分担して更新を継続。そして今は、ホームページ作りに興味を持っているラボメンバーに更新方法を教えるサポートをしています。 「自分でやる」→「チームでやる」→「やる人を育てる」の流れを経験して、私はホームページを作ることよりも、やりたいと思う人ができるようになることをサポートするのが好きなんだって気づきました。それによって、自分のサービスメニューも変わってきて、いい影響をいただいています。 ラボのホームページ作りに興味ある方々だけでなく、わいわい作業会と称してラボメンバーの方々にもパソコン作業のサポートをしてきて、「まり子=パソコン関係が聞ける」と知っていただけたかな?と思います。「何かできるようになりたい」と思っている人が一歩を踏み出すきっかけのお手伝いができていたらうれしいですし、これからもライフデザインラボという実験の場を借りて継続していけたらうれしいです。

波柴純子

家庭でも職場でもない、もうひとつの居場所としてのラボ

設立直後から「家が近い」という理由でなんとなく関わり、わたしに何ができるかな?と探りつつお手伝いをさせていただいていましたが、ラボは常にいろんなところからいろんな声がかかるので、だんだん手伝うことも増えて深く関わるようになりました。 その中で「違いを認め合う」とか「多様性」という言葉の意味を考えたり、考えすぎてちょっと面倒くさくなったりもしましたが、多分ラボと関わりを持たなければ、こんなに多様な人たちと関わりを持つことはなかったと思い、改めて感謝しています。 昨年の途中から自宅の引っ越しやコミュニティづくりをしている会社へのジョインをしたので、ラボと関わりの頻度は減りました。が、振り返って思うことはラボにはいつも有用な情報(地域に特化した情報)や、それを編集する主体性のあるメンバーがいた、ということです。ラボのような場が各地域にあると安心・安全で心ゆたかな暮らしが増えそう。いつか私も今のエリアにそんな居場所をみつけられるといいな。

特定非営利活動法人 日本補助犬情報センター 専務理事兼事務局長
橋爪智子

横浜とつないでくれたラボ・・・そして所長!

あれは、5年前のある日・・・NPO支援の関係者が「橋爪さんに紹介したい人がいる!」と連れて行かれた、横浜らしいステキなカフェ。そこに居たのが船本所長。同じ京都出身ということで、話は盛り上がり、京都弁で話しまくっていたら・・・『え!もしかして、同じ中高大では?何年卒ですか?◯◯知ってます?⚫⚫も知ってる?』と大盛りあがり!最初は所長と聞いて構えていたが、私の方が2こ上だったことが判明し、形勢逆転!(笑)それ以来、同窓の話になると、急に二人の空気感が変わるのが面白い!!!
そんな運命的な出会いをした所長に、私は心から感謝をしている。全く土地勘もない、知り合いが居るわけでもない仕事上の繋がりだけだった横浜で、出産をし、子育てをして10年、子ども達を通したママ友は居たが、私個人として横浜の人たちと繋がる機会は0だった。当時、NPOでの障害者支援の仕事は全国向けの発信が中心で、所在地である横浜でなにか恩返しをしたい!と考えていたところだったので、ラボとの出会いは本当に運命でしかなかった。そこからたくさんのステキな仲間達と出会い、主に【寄付月間】企画運営のメンバーとして関わらせていただいた。ラボの名にふさわしい、いくつもの新しい実験をし、化学反応が起こり、毎年楽しく関わらせていただいている。これからも、どんどん新しい実験していきましょう!

認定NPO法人地球学校理事長・広報
丸山伊津紀

ラボと私

一番印象に残っている華やかな出来事は寄付月間2019企画大賞の授賞式。あれは2020年7月、コロナ禍初期でした。大勢が集まらないことが大前提だったおかげで、Kosha33ライフデザインラボの一階で、関係者のみで、トウさんの生演奏とともに開催できましたね。船本さんが司会で、進行の原稿もつくってくれて、私たちの手作りの式典でした。 ラボと関わったことで起きた最大の魅力は人との出会い。これに尽きる!多種多様で素敵な変わり者がいっぱいいっぱいいて、いまも私の人生を楽しくしてくれています。刺激的で学びが多く、頼れる存在でもある。それは今も、これからも続くと思っています。 私にとってのライフデザインラボとは「大好きなふらっとポイント」かな。立地が大好きな横浜スタジアムのそばにあるだけでもサイコーなのに、木のぬくもりと暖かな光がいっぱいの場所に、笑い声とアイデアがあふれている、そんな場所。一時的にお引越ししたとしても本質は同じはず。コロナ禍でオンラインが日常化したあとなのだから。場も大切だけど、それ以上に人。場はちがえど魅力的な人がいて、何かおもしろいことをする。そんな日常を、これからも続けていきましょう。

寄付月間実行委員
三坂慶子

ラボで広がる人脈!

ラボは、人脈の宝庫です。私がラボの企画に関わったのは2019年。ちょうどNPOを立ち上げた年でした。同じ横浜市内でも北部地域(青葉区、都筑区)をベースに活動していた私たちにとってライフデザインラボがある横浜市中区は未踏のエリアで知り合いがほとんどいませんでした。ところが、その年の7月にラボの国際理解のワークショップの企画に関わることになって状況は一変。国際理解のワークショップを通して、地球学校の丸山さん、日本補助犬情報センターの橋爪さんと運命の出会いを果たしました。「多様性」というワードがきっかけで、同じ市内で活動するNPOとつながったのです。またその年の12月、寄付月間という全国規模の寄付キャンペーンに日本大通りチームとして参画する声掛けもいただき、ラボを舞台に補助犬情報センターと共催で「まぜごぜ読み聞かせ」を実施。当団体のコスタリカ(スペイン語)、アメリカ(英語)、タイ(タイ語)のメンバーと視覚障がい者(日本語)が一緒に「はらぺこあおむし」の絵本を読むイベントをしたところ、子どもも大人も盛り上がり、多文化共生という領域を超えて福祉の領域とも重なりながら企画をしていきたいと思うようになりました。あれから3年。今では寄付月間実行委員として、丸山さん、橋爪さん、船本所長と企画に関わらせていただき、そのおかげで親子共々、貴重なご縁をいただいています(娘は、すみさんのラボハンケチの動画のナレーションの機会をいただいて動画制作に目覚めました)そして、つい先日も寄付月間2021のオープニングイベントでご縁をいただいたSLOW LABELさんの粋な計らいで、寄付月間実行委員メンバーの団体とSLOW CIRCUSでの出店協力をさせていただきました。自団体だけだったら閉塞していただろうに、ラボとつながって幅広い人脈を得られたことで私たちの活動は着実に広がっています!改めてラボ5周年おめでとうございます!これからもますます人々をつなぎ合うコミュニティでありますように。

日置直子(はいじ)

突然始まったラボ生活

ライフデザインラボという名前を知りながら、気になりながら1年以上過ごし、ある日突然ラボメンになりました。それから1年、何もしていないような気がしていましたが、振り返ればたくさん思い出ができていました。 印象に残っているのは、座間団地の茶話会でたくさんの住民の方と仲良くなれたことかな~。 ラボは私にとって無理なく自分らしくいられる場所。 今後も楽しみながら新しいことにもチャレンジしていきたいです。