2019年12月1日、「知ることでまちをどんどん好きになる!」プロジェクトの第三回目、世代間理解交流会を開催しました。
まちすきプロジェクトの最後の回となった第3回は、19~47歳までの16人が参加し、「ライフデザイン」をテーマに異なる世代で交流しました。
全体レポート
『知ることで、まちをどんどん好きになる』プロジェクトの目的のひとつ、「他者と自分との違いを考えることで、自分自身が自覚なくもっていた判断基準や指針を浮かび上げる」こと。
今回の対話では、普段話す機会のない他世代の方を対話相手にし、他者の話を聞き、自分との違いを感じることを主眼におきました。
まずは、ライフデザインラボの所長である船本由佳さんによるライフデザインラボ設立の話からスタート。
船本さん曰く、ライフデザインラボ設立のきっかけが異なる世代間の交流だったとのこと。
このお話を事例として、ライフデザインの考え方・ワークへと続きますが…その前に恒例の自己紹介です。
自己紹介は、自分をあらわす言葉を30個書き出し、その言葉をつなげて自己紹介するという方法を取りました。
30個となると、自分の現状を思い浮かべるだけではなかなか言葉が埋まらずに過去にさかのぼって言葉を選ぶ方も多く、これが後のワークへといい形でつながりました。
そして、個別のワークに入る前にライフデザインラボ コミュニティマネージャーの波柴純子さんから、ライフデザインをテーマにした時代背景やライフデザインについての考え方、「ライフデザインの意味・効果」・「イメージしづらい時のヒント」の説明後、ワークの時間となりました。
ワークの内容とワークシートは、下記のとおり。個別のワークでは、ワーク前の自己紹介の時間で今までを振り返っていた方も多く、みなさん、スムーズに書き始められました。
- 今までを振り返り、あるいは未来を想像したときにどのような「悩み」「制約」があったか(あると思うか)考えてみよう
- 逆にその時だからこそできたこと、しておいたらよかったこと、できそうなことを考えてみよう
- これからの人生にどんなことが起こるか考え、改めて自分のライフデザインで意識したいことを考える
次にグループトークでは、先ほどの個別ワークで書き出した内容を共有しつつ、対話を広げました。
あるグループでは、年長者側の参加者が現状の働き方について多くを語り、年少者側の参加者が老後の準備について多く語るというシーンがありました。また、別のグループでは、とても若いと感じられる年少者側の参加者が、以前からきっちりとしたライフデザインを考えているという話もあり、年長者側が驚いていました。
どちらも、多くの方が「反対側の世代が考えることなのではないか?」と感じていたことで、それぞれが自身の思い込みに気づき、世代ではなく個の違いであるとあらためて感じた時間となりました。
最後に、全員で和になり、本日の気づきや感じたことを順番に発表しました。
「未来の世界は予測できないけれど、自分の信念や他者とのつながりは変わらず持っていたい」や「共通認識と新たな視点」など、ひとりひとりの発表に、みなさん、あいづちをうったり、なるほどといった様子でうなずき、それぞれの気づきを持ち帰ることができたと感じられる交流会となりました。
参加者の声
まちすきリポーター 矢島 加南子
第3回の「まちすき」での一番の気づきは皆、誰かの子であるという普遍の事実であった。
性別、役割、育った環境等、それら全てが同じというのは誰一人としていない。
皆、違った「個」である。それがたまたま何かのご縁で今、横浜という地で出会った。
他者を見る時、話をする時、知らず知らずのうちに自分が見えない「メガネ」のようなものをかけて相手をみていると気づいた。
それは相手の属性や役割から自分が推測、設定した勝手なフィルター。
だけど、そのメガネをかけている事すら今までは意識をしたことがなかった。
ライフデザインを考えるという1つのタスクを通してお互いの意見を聞いてみると、互いの違いはとても魅力的に映った。
現在子育てを経験し、親や祖父母の介護等「お世話をする側」になっている自分。
私がライフデザインを考えると、どうしても自分以外の誰かが「健康でない、○○ができない」等の想定を入れてしまう。
しかし、それを「○○じゃない」想定が入っていて目から鱗だったと言ってくれた人がいた。
それを聞いたこっちも目から鱗が落ちる思いだった。
自分の事を「母」「娘」「妻」等の役割で考える事が当たり前になりすぎて、「個」としての自分がどうしたいのか?という部分がすっかり抜け落ちてしまっていたのだ。
人は人を映す鏡とはよく言ったもので、今回改めて他者と交わることによってより深く自分を理解できるという経験をした。
超ド級の田舎出身の私は生まれてから高校を卒業して地元をでるまであまり多くの人と関わることがなかった。私の田舎ではそもそも人というリソースが慢性的に不足しているのだ。その中で生きている時はその不自由さを思ったことはない。何故ならいない人を連れてくることはできないからだ。あるもの、いる人で何とかする。それが当たり前。
大人になって大都会に出た。人は数えきれないほどいる。会いたい人がいれば会いに行くことができる。
なんと素晴らしいことだろうか。子育ての悩み、人生の喜び、それらを分かち合える相手がいると言うことはこんなにも人生を豊かにしてくれるのか。多様な他者の存在に驚き、彼らとの交流を通して初めて見えてきた自分の側面にもワクワクした。
矢島 加南子
協力団体
参加者の感想